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コドモおいでおいで!な不妊治療の記録。☆治療暦:約2年半☆AIH3回。初IVF→×。2度目の凍結胚盤胞ETで陽性→稽留流産。2回目ICSI→稽留流産。再挑戦もくろみ中♪


by maroony
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手術からこっちのはなし


手術以来、何をするにも現実感が持てず
いまが何月なのか、何曜日なのかぴんと来ない日々がつづいてましたが
週末、旦那につかまりながら少しずつお出かけしたりして
すこしずつ現実に戻ってきた感じ。
まだ1週間しかたっていなくて消化なんてできっこないから
まとまった文章になるわけないけど
やっと書く気が起きてきたのであれこれ書いてみます。


火曜日(4/18)の手術の日
夫は有給を取ってくれて朝からずっとついていてくれた。
仕事も忙しいし、物理的には私の体にしか関係ないから
迎えに来てもらえれば十分かな、と思っていたけど
ついていてもらって本当に良かった。
痛いとか辛いとか言う私にずっとつきあってくれて
安心させようとしたり笑わせようとしてくれて。
ひとりぼっちにさせないように最大限の努力をしてくれました。
辛いときに甘えててもいい相手がいるのはすごく幸福なことだ…

とてもとてもつらい出来事だったけど
そうやって夫婦で痛みを分かち合えたので
苦しみや悲しみのなかにはまりこんでしまわずに済んだんだと思う。
いま、わりと立ち直れているのは
夫が流産を2人の困難としてとらえてくれているおかげです。
彼は立派な父になれると思う。
余計に子どもを産みたくなった。
感謝とか愛情とか尊敬とかいろんな気持ちで言葉ではどうもうまく言えないけど
夫とはこれからもずっと一緒にいて、精一杯大事にしたい。


手術の流れも書いておこうかな。
9時半にクリニック着。
すぐに子宮口を広げるための細い棒を入れてもらう。
海草で出来ているもので、水分を吸って少しずつ広げていくらしい。
普段は閉じているところなので
もちろん痛い。かなり痛い。
でもその時はもう自分の体の痛みなんかは正直言ってわりとどうでもよかったので
そんなに恐怖や緊張はなかった。
そのまま2階の個室で院長先生の午前の診療が終わるまで待機。
旦那に痛い痛い言いながら過ごす。
昼過ぎに点滴開始。このときはまだたぶん生理食塩水。
3時まで待って、手術室へ。
静脈から痛み止めと意識が遠のく薬を入れてもらったら
すぐに眠ってしまって気づいたら終わっていた。
「おなかが痛い」と無意識に言ってしまった自分の声で起きた。
意識のない私を見て、旦那はすごく怖かったみたい。
私も逆の立場だったら、絶壁の崖の上に立たされているような気分になるだろうな…。
なんだか旦那がかわいそうになってしまった。

しばらくそのまま寝てから
ガーゼを取ってもらって出血のチェックをして終わり。
あまり取りすぎると内膜が薄くなってしまってよくないので
無理のない程度にきれいにしました、とのこと。
胞状奇胎かどうかは言われなかったけど
肉眼ではわからないのかな。
病理検査の結果待ちなのかもしれない。
手術のあと4日後にエコーのチェックがあったけど
まだその時点でも何も言われなかった。大丈夫なのかな…?
自分でいろいろ調べたんだけど
胞状奇胎だったら細胞が残ると非常に悪影響があるので、もう一度手術になるようだ。

それと
事前に胎児の染色体の検査をするかどうかも聞かれていたけど
夫と話し合って、しないことにした。
私と夫の染色体は検査済みで異常はないので
今回の子どもに異常があったとしても、今後の子どもが同じ異常が出るわけではないし
もし染色体異常でなくて死亡したんだったら原因不明で余計に辛い思いをしそうだったから。
初期の流産で染色体の検査をすすめられることはあまりないと
どこかで読んでいたので、すすめられて意外だった。


手術直後はまだ麻酔が効いていたのか
ふらつくけど痛みも出血も無くけっこう健康な気がしてた…けど
夜中にいつもの毛布が重く感じてきて、うわ結構病人かも、と気づいた。
やっぱり
翌日はお腹が痛くてほとんど動けなかったりで
気持ちも当然悲しいし
旦那も仕事に行っちゃうし
食べ物は作れなかったからインスタントしかないし
昼間誰も助けてくれる人がいないのは辛いよ~ってさめざめ泣いたりしてた。

でも
つらいときは、つらいって思い切って甘えてしまおう、って
気持ちを切り替えた。
(われながらだいぶん強くなった。)
寂しい昼間は
友達につらいってメールしたり
(友人にも経験者が何人かいて、やっぱり彼女たちの言葉に一番癒されました)
次の日は妹にわがまま言って会社帰りにお惣菜買ってもらって家に来てもらったり
なるべく我慢しないようにしてみました。
もちろん泣くのも我慢しなかった。

だって、自分を大事にしないで
ずっとめそめそしてたら
亡くなった子どもは賽の河原で石を積んでなくちゃいけないらしいのですよ。
そんなのかわいそうすぎる…

いやまじめな話、
誰か大事な人を亡くすと
自分だけが回復することになんだか罪悪感を持ってしまいがちなものなんだけど
(母の時も義父の時も友人の時もそうだった)
そんなふうに悲しみの海にいつまでも漂ってなくてもいいんだよ、って
どっかで亡くなった子どもが言ってる感じがする。
悲しみが薄らいでも、絶対に大事な人がいたことは忘れないって
これまでの経験で、分かっているし。

人間の人生はぜんぜん平等なんかじゃない。
今回のことでまたもや痛感したけど
なんというか、ねたみとか、絶望とか、いじけた気持ちには何故だかならなかった。
胚移植がうまくいかなかった時は
あんなにやさぐれたのに。不思議だ。
なんでだろう。
よくわからないけど。
ひねくれた気持ちじゃなく事実として
努力と結果は比例しないし
人生は不条理だ
って
静かな気持ちでまるごと受け止めてる気分。


私にはたまたまいろんなことが降りかかってきて
心のあちこちを削られるけど
削られたことで、普段はなかなか見えない自分て人間の芯の部分の
強さというか生命力みたいなものが
少し見えて
これでいいんだ、ってなんだか思っていたりするからかな。

がんばることが出来てる強い自分が
以前より好きになってるし。
自分のことがどっちかというと嫌いだと長年思い続けてきたけど
今は自分を素直に信頼してるというかなんというか。
自分も(それに夫も)大事にしつつ、子どもが待てる気持ち。
今なら子どもが来てもだいじょうぶ、って確信がうまれてたり。
亡くなってしまった子どもが
そういうことに気づかせてくれて
私をとても明るい日向の世界に連れてきてくれたような。
祝福されているような。
また妊娠しようね、って言ってもらえてるような。
(期待してるとまた裏切られるかもしれないとも思うけど)
ニュートラルな気持ち…

不妊治療がつらくて
なんとか陽性って結果が出したくて
ずっと緊張して絶望して迷って辛くて
現実の子どもというよりは、「治療の成果」を追い求めてしまっていた気がしたけど
亡くしてしまったけど子どもが一回来てくれたら
治療の原点に戻ってこられたというのもある。

子どもを産んで、抱きたいな。
by maroony | 2006-04-24 16:46 | 治療にまつわること